連続テレビ小説「エール」 (第4回・2020/4/2) 感想

連続テレビ小説「スカーレット」

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第1週『初めてのエール』の 『第4回』の感想。


 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
 また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。


裕一(石田星空)は小学5年生になり、音楽教育に力を入れる藤堂先生(森山直太朗)が担任になる。ある日、藤堂先生が北原白秋の詩に曲をつける宿題を出す。クラスメートの佐藤久志(山口太幹)は、普段から西洋音楽を聴いている裕一ならきっと作曲できると言う。裕一は母・まさ(菊池桃子)と、川俣にある母の実家を訪ねる。祖父の権藤源蔵(森山周一郎)と祖母の八重(三田和代)、伯父の茂兵衛(風間杜夫)が出迎えるが…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---

「連続テレビ小説」の文字の出し方の工夫が良かった

今日のアバンタイトルのファーストカットは実に良かったし、興味深かった。手前に咲いた桜の木をナメて(入れ込んで)、奥に太陽光で青く光る山々、そこに、3色で彩られた「連続テレビ小説」の文字が、ブルーの下線の上に、タイポグラフィーのように乗って行く。実に春のウキウキした感じをタイピングの演出で魅せてくれたと思う。

そこで、これまでの3回分を見直してみると、全ての「連続テレビ小説」の文字の画面上の位置、出し方が異なっていた。それも、詳細は書かないが、適切な位置に表示されて、テロップや映像を邪魔しないように登場していた。そして、今回も。この辺に手を加えるのは、演出を見るのが楽しみな私としては、大いに喜ばしいこと。

フォーマットで決めずに、その時々で自在に変化させる演出。悪くないと思う。読者さんも、録画等で見なおしてみると、面白いと思う。

本作のナレーションには "2つの立場" があるから、ややこしい

さて、今回のアバンタイトルを見ても感じることだが、4/1に通りすがりの名無しさんから「個人的には全体的に演出とナレが過剰」とのコメントを頂いた。回答は『 拍手コメントへ返信 (2020/4/1,2の分)』に書いたが…

今回で説明すれば、まず今回のアバンでのナレーションの “立場” は “客観的” だ。本作のナレーションは “客観的” と “老いた裕一の過去の振り返り” の2つの “立場” を使い分けている。これが、分かり難い。本来ならどちらか一方にすべきだが、これが脚本家の作風ならばしょうがない。

いや、私が演出家なら「どちらかに統一して欲しい」と直談判したいレベル。実際にも、下記↓のようなことがあったのだ。

【呆れ】朝ドラ「エール」放送直前でも脚本家交代で迷走か!?

基本的に、ナレーションが間違っていると私は思う

更に、ナレーションの声質が、2つの “立場” を演じ分けていない(「演じ分けるように演出されていない」と言う可能性もある)から分かり難い上に、口調が淡々としているために、躍動的な映像と “ズレ” が生じる。

例えば、今回なら、ナレーションの「文字面(もじづら)」だけ読めば、ちょっとコミカルな要素を入れて、小学5年生になった新学期の裕一(石田星空)の嬉しさと戸惑いを「書いて」はいる。しかし、映像はナレーションなんていらないくらいに、風景の情景カットと子役たちが絶妙に演じている。

従って、ナレーションが間違っていると私は思う。ここのナレーションの “立場” は “客観的” に徹して、「裕一は、晴れて小学五年生の新学期を迎えました」だけで良かったと思う。そう、映像で十分に表現出来ているのだから、一番最後の「こんな感じで」が要らないってこと。

これが、私が言う脚本と演出の “ズレ” が “過剰” に見える原因の解明だ。(もちろん、解釈は人それぞれだが)

「♪かなりや」を歌うシーンで脚本と演出の"ズレ"が明確に

主題歌明けにも、脚本と演出の “ズレ” が見て取れる。裕一の担任になった藤堂先生(森山直太朗)がオルガンを弾きながら、祐一の同級生たちが『♪かなりや』を歌っている映像に、その時代背景を説明するナレーションが被り、その映像のど真ん中に「芥川龍之介」や「泉鏡花」らの写真がドカーンと乗っかる。

これも、単純に言ってしまえば “過剰” と言うより “邪魔” だ。普通の演出なら二択。王道は、まず、歌う小学生たちを見せてから、歌の音声は続けながらカットを変えて、画面に下手(画面左)に児童文学雑誌「赤い鳥」の表紙、上手(画面右)に次々と作家たちの写真を入れ替えるパターン。

もう一つは、小学校の全景に子供らの声が校庭まで聞こえるような音声処理をして、そこへ作家たちの写真を入れ替えるパターン。なぜ、二択かと言えば、ここではきちんと裕一が歌っている姿を視聴者に印象付けるのが、最も演出がやるべきことだと思うから。それを敢えて、この演出家は一番やるべきでない方法を選択した。

脚本家への逆襲の可能性も否定できないが、恐らく、時代背景も歌う裕一も同時に見せたいが、放送尺がないから止むを得ずやった…のだと思う。こう言う “ズレ” が無くなると、もっとスッキリとして来ると思う。

因みに、『♪かなりや』は、大正7年(1918)に西條八十が作詞、成田為三が作曲し、大正9年(1920)に『♪かなりや』でレコード化され、昭和和27年(1952)に小学唱歌として取り上げられ、タイトルが『♪唄を忘れたカナリヤ』になった。

今週の演出家は「ナレーションは無用の長物」と思っている

小川のせせらぎを聞きながら、祐一とクラスメートの佐藤久志(山口太幹)が「作曲の宿題」について話し合うシーンは私が好きなシーンだった。屋外ロケ撮影ならではの奥行き感と躍動感、特に長回しのカットを中盤で用いた巧みなカット割りで描いた、二人の少年の違い。

このシーンで一目瞭然だと思う。基本的に、今週の演出家は「ナレーションは無用の長物」と思っているのだ。映像だけで魅せよう、描こうと言う意思が伝わって来た。

作曲の宿題、川俣へのお出掛けは、朝ドラらしくて良かった

その後の、祐一が父・三郎(唐沢寿明)に「作曲の宿題」の相談をしてレコードを聴くシーン、母・まさ(菊池桃子)と川俣に出向くシーン以降は、実にオーソドックスでベタな演出にナレーションで、あまり “ズレ” は感じなかったし、朝ドラらしい王道路線が見えて、本作の安定感すら見えたと思う。

また、オープンセットを使った大正時代の再現は、朝ドラ『まんぷく』でフランス、イタリア、スペインの街並みを本格的に再現した、海に囲まれたテーマパーク「和歌山マリーナシティポルトヨーロッパ」を使用して描いた昭和の大阪の街並を見事に利用、再現したのを彷彿させた。やはり、太陽光を利用した映像には、人工光には出来ない “躍動感” がある。

今回褒めるべきは帰宅した祐一が弟に土産に買って来てから

そして、今回褒めるべきは、川俣から帰宅して、祐一が弟・浩二(潤浩)にスノーボールを土産に買って来てから。

父に「五線帳」を買って来て貰った兄とスノーボールを寂し気に持つ弟の対比を、俯瞰(鳥の目線のような上からのカメラアングル)で実家の中庭を引き目のショットの奥に兄弟を配置して、明るい気持ちの兄に火があたっていなくて、暗い気持ちの弟に光が当たり長い影が寂しさを更に強調した。

裕一が初めて「五線譜」と向き合ってからの描写は文句無し

その後の、逆光の夕日に裕一の背中から始まる、音楽で生きていくことになる主人公が、初めて「五線譜」と出会い、向き合う大切なシーンを丁寧に描いた。朝ドラのお約束である “覗き見” もチラリと入れて,4,5時間の時間経過も表現した。藤堂先生の回想シーンの入れ場所も適切。

ピアノソロから始まった劇伴が、時間経過と共に管楽器等らとのアンサンブルになりながら、劇中の時間は翌朝になり、誰も投稿していない早朝でオルガンを弾き始める裕一に、実に滑らかに描写が続く。時計の針は「6時55分」を指している。ここまででも凄いのに…

特に、メロディーを閃く前後の映像は秀逸!

裕一がメロディーを閃く時の、回想と劇伴の使い方は、良質なタイムスリップ映画を観ているような雰囲気。まるで、祐一の世界が一変してしまったような絶妙な映像。

そして直後は、緩急をつけて、教室の机に突っ伏して寝てしまっている裕一と、それに気づく藤堂先生。そして、カメラが裕一と藤堂先生からズームアウトしながら五線譜の黒板にパーンすると、白いチョークで楽譜が書いてあり、それを歌っている架空の子どもたちの歌声が被って来る。

恐らく、この今回の終盤の2分こそが、脚本家の交代を願い出た演出家が目指す “本作らしい、語りのない映像処理” であり、裕一の “閃き” の中に登場した教会で出会った関内音(清水香帆)との物語の始まりだと思う。これ位に映像だけで魅せてくれると満足度は高い。

あとがき

やはり、演出とナレーションの “ズレ” がありますね。そして、ナレーションの無いシーンの脚本の映像化は、期待以上に良く出来ていると思います。久し振りに「朝ドラらしい朝ドラ」で嬉しいです!

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連続テレビ小説「エール」 (第3回・2020/4/1) 感想

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第1週『初めてのエール』の 『第3回』の感想。


 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
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蓄音機から流れる西洋音楽に夢中になっている裕一(石田星空)だったが、運動会の日が近づくにつれ、憂うつな気持ちを募らせる。父の三郎(唐沢寿明)は裕一を元気づけようと、速く走る練習をするが、運動会の練習でも失敗して皆の足をひっぱってばかり。真面目に取り組んでいないと思われて、体育教師に叱られているところを、赴任してきたばかりの藤堂清晴先生(森山直太朗)に助けられる。そして運動会の当日…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---

前作と比べて、時間経過の描写が丁寧なのが良い

第1回が東京オリンピック開催の昭和39年(1964)で、第2回のアバンタイトルが明治42年(1909)で、今回のアバンタイトルが前回で10歳になった裕一(石田星空)の大正8年(1919)で、前回との時間経過は無し。

こんなことをわざわざ記する必要は無いのだが、如何せん、前作の時間経過の表現が実に雑だったため、ついつい書き留めてしまいたくなるのだ。

そして、どうやら、世間では「喜美子ロス」、「八郎ロス」なる奇妙な現象があると最終回放送後にも提灯記事が躍るが、残念ながら私の場合は「仕事ロス」と「収入ロス」と「TDRロス」の方が甚大で、こうして毎日コツコツとドラマの感想を書くことで、わざわざ当blogへ読みに来て下さる読者さんとのネット上の交流が、とても心の支えになっている。

正に、読者さん一人一人のアクセスやWeb拍手やコメントが、全て私にとっての『エール』になっているのだ。(いやぁ、今日の序章はきれいにまとまった 笑)

今回のアバンでの「♪威風堂々」には、ノイズ加工が施されていた

さて、前回の感想で、祐一が初めて音楽に触れ、興味を示す象徴的なシーンで、蓄音機から流れる音楽に「プチプチ」と言う “本来あるべきノイズ” が、演出家の意図の有無は分からないが消されており、もしも意図的に “本来あるべきノイズ” を編集で加えなかったとしたら…

あのシーンは晩年か、のちの裕一の “過去の振り返り” のナレーションが被さっているから、現在の(子供でない)裕一にとって、初めて聴いた蓄音機からの「♪威風堂々」には、一切ノイズがない程に、クリアな音、まるでついさっきのことのような新鮮さを表現しているから、本作のメインディレクターで第1週担当の演出家・吉田照幸氏には期待が持てると書いた。

そして、今回のアバンで再び蓄音機から流れる「♪威風堂々」を裕一が真剣に聴くシーンがあった。その時の音には明らかに “本来あるべきノイズ” が、ちゃんと加工してあった。と言うことは、やはり前回の演出は意図的だったと言うことになる…と思う。これは、光明が差したと言えると思う。

裕一の生きる時代を、他の朝ドラの主人公の誕生年で比べると

本編の感想に入る前に、歴史に詳しくない私としては、この劇中の明治42年(1909)を、他の朝ドラの主人公たちの誕生年と比較してみた。すると、ざっと裕一と似たような “お年頃” の主人公はこんな感じだ。(間違いが、あるかも知れません)

  ●明治26年(1893)生まれ 『花子とアン』の安東はな
  ●明治27年(1894)生まれ 『マッサン』の亀山政春
  ●明治42年(1909)生まれ 『エール』の古山裕一
  ●大正2年(1913)生まれ 『カーネーション』の小原糸子
  ●大正7年(1918)生まれ 『べっぴんさん』の坂東すみれ
  ●大正9年(1920)生まれ 『とと姉ちゃん』の小橋常子

上記の通りだから、まあ、時代的には、裕一は『カーネーション』の糸子の4歳上と言うことになるから、今回登場した県議会議員の息子で裕一の小学校時代の同級生の佐藤久志(山口太幹)の “ハイカラっぷり” は中々先を行っているってことになる。

因みに、本作の祐一が10歳の頃(劇中の現在)、『マッサン』の政春は15歳で、まだウィスキーの飲める年齢でなく、『べっぴんさん』のすみれは、まだ1歳児。

そして、この6年後の大正14年(1925)に、『カーネーション』の糸子は12歳でドレスと出会い、裁縫を覚えて、初めて「アッパッパ」(ワンピース)を作る。やはり、糸子は相当に「時代の先端を行くヒロイン」だったことも分かる。こうやって、複数の朝ドラを比較して、時代を見るのも、朝ドラの楽しみ方の一つだと思う。

重要な脇役と、そうでない脇役を、明瞭化しておくのは良い

運動会の練習でも失敗してばかりで、真面目に取り組んでいないと思われて、体育教師に叱られているところに、赴任してきたばかりの藤堂清晴先生(森山直太朗)に助けられるシーンがあった。「違いを気にするな」と、運動音痴も一つの個性だと裕一に教える藤堂先生。

得意ないものは無いと言った裕一に「そのうち見つかるさ」と励ますシーンで、祐一のこんなモノローグが被さっていた。

裕一(M)「何か 自分の周りに 新しい風が吹いた気がしました」

前述のハイカラな同級生・久志にしても、この藤堂先生にしても、明らかにその後の主人公に大きな影響を与える人物として描かれている。

この辺を、ベタと受け取るか、丁寧と受け取るか分かれるかも知れないが、少なくとも、主人公にとって重要な脇役が誰であるか、この初期段階で明確に提示しているのは、そこをうやむやに過ごした前作と比べても、分かり易いと言う意味で良いと思う。

やはり、重要な脇役と、そうでない脇役がいるし、特に子役時代はそこを明瞭化しておくのは、良いと思う。

ノイズのない「♪天国と地獄」には、やはり意味があった

9分頃、家の中で速く走る練習を父の三郎(唐沢寿明)と裕一と弟・浩二(佐久本宝)とやるシーンでは、蓄音機から「♪天国と地獄 序曲/地獄のオルフェ」が流れていたが、ここにも “本来あるべきノイズ” が無かった。

これ、例の意図的な演出だとしたら、祐一にとって徒競走が人生の印象的な場面の一つになるから、私は本番で偶然にも一緒に走っていた同級生たちが転んだりしてリタイアし、飛んで火にいる夏の虫的に一着になるのかと予想した。しかし、そんな安っぽいお話では無かった。

転んで立ち直れない裕一を励まそうと、藤堂先生の指揮による女子だけのハーモニカ部の少女たちが、演奏を始める。そして、その音楽に励まされた裕一は、まるで “よちよち歩きの赤ちゃん” のような恰好でゴールする。この演奏こそが、第1週のサブタイトルである『初めてのエール』と言うことに違いない。なかなか、感動的で清々しいシーンで良かった。

ハーモニカ部が演奏した楽曲が、本作の劇中歌「♪自分へのエール」

そして、付け加えるなら、ハーモニカ部の少女たちが演奏した楽曲が、本作の音楽担当・瀬川英史氏が作った、本作の劇中歌であり劇伴としてアレンジを変えて利用される「♪自分へのエール」と言う楽曲の、ハーモニカ・ヴァージョンだそうだ。サントラ盤の予約販売は始まっているが、収録曲等の詳細はないが…

あとがき

音楽が “人の背中を押すエール” になると言うことを、ストレートに、且つ朝ドラらしく清々しく描いた15分間だったと思います。この調子で進んで欲しいです。そして、いよいよ4月になりました。いつもの年と違う、何とも晴れやかなムードの4月とはいきませんが、本作でどんよりしたムードを吹き消して欲しいです。

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